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達人  井上博道さん
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古都の美しさを
再発見
半世紀以上もの間、奈良に根ざした写真撮影を通じて、仏像・古建築・文化財・風土などを見続けてきた写真家の井上博道さん。レンズを通した確かな眼差しと感性の豊かさから美しい作品を生み出し、見る者を魅了し続けています。作家・司馬遼太郎氏との親交も深かったという井上さんに、これまでのご経歴と古都・奈良の魅力について伺いました。
初めてカメラに出会った少年時代と、今だから笑える失敗談について
室生寺の五重塔とシャクナゲの花 ─井上さんが最初に、カメラと出会ったきっかけは、どんなことだったのか教えてください。
井上子どもの頃の写真といえば、年に一度くらい、家族で写真館へ行く程度の遠い存在で、当時のプロカメラマンは「写真師」と呼ばれて、医者と並び賞されるほどの最先端技術者でした。
カメラを身近に見たのは、兵庫県の豊岡にあった旧制中学校の1年生の時でした。都会から疎開して来ていた友達が、父親の持っているジャバラ式の単玉カメラを見せてくれて、「これがカメラというものか」と、初めて手にしたことを覚えています。フィルムというものを入れることも、その時、初めて知りました。
─そうした少年時代に、カメラとの関わりの中で、忘れられないエピソードはありますか?
井上友達と二人でお互いの写真を撮り合っていて、1枚撮っては裏を開け、また1枚撮っては裏を開け、フィルムを確認したのですが、フィルムには何も映し出されておりません。「おかしいな、何も映っていないね。このフィルムは不良品じゃないか」と(笑)。
昔は日光写真というものが、子どもたちの間で流行しました。厚紙製のホルダーに、「種紙」という白黒反転した絵の描かれた原版を、印画紙といっしょにセットして、日光に当てて感光させるもので、「のらくろ」などの絵を映しては楽しんでいました。その原理が頭にあったものですから、カメラもそれといっしょだと思っていたのです。
何も映っていないフィルムを写真屋に持ち込んだ時に、店の人からカメラの原理を教わったという、今から思うと、とんだ笑い話です。
僧侶となるための大学生活の中で、写真の世界に魅了されました
─大学は仏教学部ということで、写真の世界とは、かけ離れたご経歴をお持ちですが。
井上生家が禅寺でしたので、父親の跡を継いで、ゆくゆくは僧侶になるつもりだったのです。
大学受験を控え、最初は、父親の母校の大学へ下見に行ったのですが、学内の雰囲気が静か過ぎて、私の性格には合いそうにありませんでした。その足で、今度は龍谷大学に行ってみたところ、活気に満ちあふれていましたので、父親には内緒で龍谷大学を受験し、合格しました。
─本格的な撮影活動は、大学生時代からですか?
井上大学の2回生も終わろうとしていた頃、同級生たちから「写真部」をつくろうと誘われました。しかし、当時のカメラは超高級品で、私にはとても手の出せる存在ではありません。友達は皆、京都の寺の跡継ぎとして裕福な生活をしていましたので、彼らの持っているカメラを借りて写真を撮り始めました。
先生の資料の複写や、学会での記念写真などを撮影しては、先生から小遣いをもらい、それをコツコツと貯め込んで、ようやく「セミミノルタ」というカメラを買うことができました。下宿代が5円の時代に4500円という値段でした。そのカメラは、思い出とともに、大事に保管してあります。
龍谷大学の隣が西本願寺で、あの頃は自由に出入りすることができましたので、建物や寺の所蔵品を被写体のテーマとして熱心に撮りまくりました。その頃から、すっかり写真の世界に魅了されていきました。ですから、西本願寺が写真家としての原点ということになります。
プロ写真家への道を決定づけた司馬遼太郎氏との出会いと交友
─大学卒業後は、産経新聞社へ入社されましたね。
井上西本願寺の写真を撮影し続けているうちに、寺の出版部で広報誌などの編集長をしていた方に誘われて、嘱託カメラマンのようなアルバイトを始めました。広報誌に掲載するための建造物や行事の撮影などが主な仕事です。
その当時、京都市内の主だった寺には、新聞社の記者クラブが設置されていて、西本願寺の記者クラブにいらした方が、産経新聞社京都支局時代の司馬遼太郎(本名・福田定一)さんでした。後に、作家として大活躍された司馬さんとの交友はこの時からです。
大学を卒業後、どうしても写真を続けたいという思いが強くて、父親や実家の寺の檀家を裏切るような形で、司馬さんの勤務する産経新聞社大阪本社の写真部へ入社しました。
─新聞社にお勤めの時期に、印象に残っているお仕事はありますか。

井上入社から4年くらい経った時に、司馬さんから新聞の文化欄の新企画として持ちかけられた提案がありました。写真企画の「美の脇役」という連載です。
例えば、二条城の門扉の釘隠し、桂離宮の広縁板や大徳寺の参道の敷石、四天王に踏まれる邪鬼に至るまで、崇高なまでの「美」を支える存在としての「脇役」にスポットを当てた企画で、私に写真を撮ってほしいとの依頼でした。
週にほぼ1回のペースで連載されたこの企画は、4年続きました。惜しくも亡くなられた司馬さんをはじめ、多くの筆者との思い出が詰まった仕事として、今でも印象に残っています。
連載が100回を迎えた時、この企画は淡交社という出版社で単行本化されました(平成十七年に文庫化。光文社知恵の森文庫)。
『万葉集』の精神世界を今に残す、奈良の自然を追いかける楽しみ
─これまでの作品の中でも、奈良をテーマとしたものが中心のようですが。
井上結婚してから奈良に住むようになり、産経新聞社を退職してフリーになった後、司馬さんからのアドバイスもあって、撮影のテリトリーを京都・奈良といった関西圏に決めました。
奈良には、およそ1300年、平城京の昔から脈々と受け継がれてきた文化の深さがあり、世界の中でも誇れるものだと信じています。現在の私たちの習慣や芸術などは、すべて奈良から発祥したと言っても過言ではないと思っています。プロの写真家として、作品のテーマの多くを奈良に求めた理由もそのためです。
特に、『万葉集』の世界を知ってからは、そのことをいっそう強く感じています。柿本人麻呂の数奇な運命や、大伴家持の精神世界などをベースにして奈良を見た時に、万葉文学の中で謳われている人びとの心の深さをあらためて味わうことができますね。
─撮影を通して、井上さんが感じていらっしゃる奈良の魅力とは?
井上四季折々の風景や小さな自然、何気ないものに至るまで、『万葉集』の歌の題材となっている対象物にこめられた読み人たちの心情というものを、現代社会の生活の中でも触れることのできるのが、奈良のもっている最大の魅力だと思います。同時に、私自身の創作意欲をかき立ててくれる源でもあります。
明日香村などをじっくりと巡り、さまざまな自然と対峙していると、遥かな時代の垣根を越えて、日本人の心に共通するアイデンティティのようなものを感じることができますね。
そうした奈良の魅力に惹かれてシャッターを切り続け、気がついたら半世紀を過ぎていました。それでもなお、撮り切ることのできない奥深さを感じながら、奈良の自然を追いかけています。
─撮影の際に、特に留意されたり、こだわっていることはありますか?
井上レンズを通して題材と向き合う時には、被写体が投げかけてくる、一種の緊張感が伴います。特に、大好きな奈良を撮る時には、それが最も強いので、私は今でも4×5という大判フィルムでの撮影にこだわっています。
仏像の細かな表情、建造物のフォルム、風景を切り取る画角など、隅々にまで神経を行き渡らせるためには、どうしても4×5のフィルムでなくてはなりません。
しかし、今はデジタルカメラが全盛の時代で、どなたでも気軽に写真撮影を楽しめますので、撮影の巧拙をあまり気にせずに、カメラを片手に大和路をぶらりと散策されてみてはいかがでしょうか。
きっと、感動的な場面が見つかるはずですよ。
井上博道(いのうえ・はくどう)
写真家。兵庫県出身。龍谷大学在学中に写真撮影を始める。卒業後、産経新聞大阪本社編集局写真部へ入社。フリーカメラマンとして独立して以降も、長年にわたり奈良をテーマに撮影し続けている。『東大寺』(中央公論社)、『奈良・大和路』(京都書院)、などの写真集、出版物多数。
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